高崎・ 阿部さん一家 運動会 一緒に応援 仕事より 大事なもの

運動会の後、帰路に就く(左から)功さんと遼太郎君、和佳奈ちゃん、忍さん。 遼太郎君は50メートル走で1番になった

都内から高崎市に居を移した阿部忍(45)=倉賀野町。9月最後の土曜日は今年1年生になった長男、遼太郎(6)が通う高崎岩鼻小の運動会だった。

「パーン」。校庭に響いたピストル音を合図に、子どもたちが全力で駆けだした。夫の功(41)は得意のカメラで遼太郎の姿を追い掛ける。忍は長女の和佳奈(5)や同居する功の両親とともに声援を送った。

埼玉県出身の忍が最初に高崎市に来たのは、結婚前の35歳の時。それまで看護師として病院などに勤めてきたが「在宅できちんとみとりをできる所で働きたい」と、市内の緩和ケア診療所で働き始めた。

その後、功と結婚。都内へ引っ越し、遼太郎が生まれた。子どもはもちろんかわいかったが、同時に「試練」だった。仕事を辞めて社会とのつながりがなくなり「自分が社会に存在する意味はあるのか」とすら考えるようになっていた。

一方の功も、あまりの多忙で「青白い顔をして仕事に行っていた」。2013年、思い切って功が会社を辞めて再び高崎へ。専業主夫となった功に代わり、忍が看護師に復職した。現在は市内の訪問看護ステーションで働く。

昨年度は特に忙しい1年だった。訪問看護の認定看護師資格を取るため、11カ月間にわたり月―木曜は仕事、金・土曜は愛知県の学校に通う生活を続けた。家のことはほとんど功に任せ、遼太郎の卒園式にも出席できなかった。

「一生のうちでこんなに勉強したことはなかった。家族や職場には迷惑を掛けたが、とても実になった」と感謝する。「高崎や群馬全体の訪問看護も考えていけたら」との思いを抱くようになり、今もさまざまな研修に参加している。

妻が家の外で働き、夫が家事や子育てを担う生活は5年目となった。「男性が仕事をして家族を支えるという考え方は今もあるかもしれないが、直接何か言われたことはない。大抵、夫が褒められます」と笑う。

ただ、1年ほど前、遼太郎に聞かれた。「なんでうちはお父さんが会社に行かず、お母さんが行くの」。お母さんは仕事が好きで、お父さんは家にいるのが好きなんだよ。そう答えた。

看護師の仕事は好きだが、「いつ辞めてもいい」とも思っている。「家族の生きること、死ぬことはきちんとできるようにしたい。それでこそ自分がいる意味があるかな」。もし家族に介護が必要になったら、仕事より優先するつもり。「仕事は2番」。そう言って笑顔を見せた。

(敬称略)