高崎・ 阿部さん一家 それぞれの 居場所づくり 地域に根下ろし 活動

自宅の前で始まった、功さん(左)と遼太郎君(右手前)の○×ゲーム対決。 和佳奈ちゃん(左から2人目)と忍さんが見守る

都内から高崎市倉賀野町に移住し、5回目の冬を迎えた阿部功(41)一家。年末から年始にかけて長男の遼太郎(7)、功が順番に風邪をひき、続いて妻の忍(45)もインフルエンザでダウンした。

ようやく体調が戻った休日、長女の和佳奈(5)も含めた家族4人で外へ繰り出し、自宅前で縄跳びをしたり、地面に格子を描いて○×ゲームをしたりして盛り上がった。

「あら、上手ねえ」。外出しようと家を出てきた近所の夫婦が、子どもたちに声を掛けた。「これ食べて」と差し出したのは袋に入った大根。「いつもありがとうございます」。笑顔で受け取った。

専業主夫として家事や子育てをする傍ら、地域の活動にも積極的に関わってきた功は「周りがみんな親切。適度に人口流入がある地域で、閉鎖的な雰囲気がない」と感謝する。

昨年は、功がママ友と立ち上げた「Manabuono(マナボーノ)」の活動が本格化。未就学児対象の子育て支援が多い中、主に小学生以上の子を持つ親の“学び場”を提供しようとさまざまなイベントを開いてきた。功は「徐々に人の輪が広がっている」と手応えを口にする。

カメラの腕を買われて、撮影や写真教室の講師の依頼も入るようになり、「今年は個人の活動も多くしていけたら」と展望する。

看護師の忍は市内の病院を経て、現在は訪問看護ステーションに勤務。認定看護師の資格も取得し、自宅で療養する患者の生活を支えている。

東京での生活に疲れ、新たな生活の場として移り住んだ高崎。夫婦ともに県外出身で、もともとは縁もゆかりもなかった土地だが、それぞれのやり方で居場所をつくってきた。

「最近気になっているのは…」と忍が話し始めたのは、ご近所のこと。「この辺りはお年寄りの世帯も多い。例えば買い物とか、お手伝いできることがあるのかなと思うけどなかなか踏み込めない」。知らないうちに近くの住人が入院していたこともあった。「昔の『お節介おばさん』は減りつつありますよね」と距離感に頭を悩ませる。

同じ子育て世代とはつながりやすいが、他世代とはなかなか難しい。“移住者”であることも、一歩踏み込むことをためらう要因になっているように感じる。

「今できることは、子どもを通して関われる人と関わっていくことかな」と功は受け止める。この地に張った根は少しずつ、でも着実に広がっている。

(敬称略)